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2024/07/13

受験生って誰のこと?

1学期の期末考査も終わり、夏休みまで残りわずかとなりました。小学生にとっては待ちに待った夏休み、中学生(1,2年生)にとっては部活動三昧の夏休み、中学3年生には受験に向けての総復習の夏休み、高校生(1,2年生)にとっては課外・補習で潰れる夏休み、高校3年生には…今後の人生を左右する夏休みといったところでしょうか。

『受験生』という言葉があります。世間一般では中学3年生や高校3年生を指す言葉ですが、本当にそうでしょうか?これをそのまま捉えると『受験勉強は3年生になってから始めるもの』となりますが、もちろん、当然、当たり前にそれでは遅すぎます。

私が入試に挑んだ数十年前は中高一貫校は県内に愛光くらいだったのですが、今では済美平成、新田青雲などが開校しております。これらの学校では高2までに高校履修内容を終わらせ、高3の1年を受験の準備に当てることができます(宇和島南などの県立中高一貫校ではそのようなシステムは取りづらいようですね、公立校の限界でしょう…)。当塾の塾生の多くが通う南宇和や宇和島東では高3になってもまだ通常の授業をやることになりますから、受験勉強と言われるものを並行して行うことは非常に困難です、というより無理と言わざるを得ません(このあたりの時代の変化に気づいていない保護者世代が多いように思います。その世代の宇和島東・南宇和は今と違ってそれなりの進学実績を残していましたから)。

それではどうやって受験に臨めばいいのでしょうか?答えはただ一つ、『日々の学習をそのまま受験に直結させる』しかありません。あとになって見返す、やり直す時間的余裕がないならば、その日そのときに学習内容を定着させるしかありません。

ここからは数学に限定しての話になります。

数学において高校生が最も苦労することは(ほとんどの高校生がその事に気がついていないのですが)『答案を作る』ことができないことです。ただの数式の羅列、ひどい場合はメモのようなもののみを残し最終的な答えのみを記述して終わらせる…。数学の解答欄は計算用紙ではないことを知らないのでしょうか。答案の重要性に気がついていないから、私が課す宿題の訂正も答案の書き方へのチェックが全くできていない状況です。

『受験の月(https://examist.jp/)』というサイトに『大学入試数学の採点基準(https://examist.jp/mathematics/general/scoring-system/)』というコーナーがあります。ここには大学入試の採点について大学の担当者による注意点が挙げられています。以下、主なものを抜き出してみます。

   ・最終的な答えとは関係のない部分での計算ミスなども含めて、答案に書いてあるものはすべて目を通し、間違いがあれば減点する。

   ・字が薄かったり小さい答案は、細心の注意を払って採点しても見落とす可能性がある。読めないものは、書いてないものと判断する。

   ・論理を重視し、時間をかけて厳密に採点する。紙に書いてあるものだけで判断する。

   ・最後の答えがあっているだけで完答できたと考えている受験生が多いが、たいてい満点ではない。

   ・予備校の模試の採点は、本番に比べると極めていい加減である。実際は、論理力・表現力を重視して採点しているので、単純にここまでで何点というものではない。

   ・易しい問題では論理の不備や説明不足があると0点になる。

   ・説明や途中計算が不足している解答は答えが合っていても減点する。

   ・問題にはなるべく図を入れず、受験生が問題から読み取り表現する能力を試したい。

   ・総合型選抜や学校推薦型選抜で合格した受験生は基礎学力が低く入学後苦労する。理系なら数Ⅲくらいは理解しておくこと。

   ・入試は大学での学習に十分な力があるかを判定する場であるから、答案が指導要綱に適合しているかはどうでもよい。

   ・もう一度大学に入り直す人もいるのだから数学的に正しいならば高校範囲外の知識を用いてもよい。実際には答案の流れを見て判断する。とにかく、内容が読み手に伝わり、使い方が正しいことが大切である。

   ・採点者は数学のプロなのでごまかしてもすぐにバレる。

   ・採点者は「何とか点をあげよう」という優しい人達である。しかし、それができる答案が・・・

   ・答案は丁寧に書いて欲しい。6とbや9とqが区別できないのは困るし、本人も間違えている。

他にも受験に際して有益な事項を掲載してありますので、是非目を通してほしいと思います。個人的には推薦入試について触れている部分について完全同意いたしますね。推薦入試なんてなくなればいいのに…。

さて皆さん、夏休みをどのように過ごしますか?お手伝いできることがあればできる範囲で協力しますので遠慮なくお申し出ください。

2024/03/15

離婚は結婚よりエネルギーを必要とする…らしい

この原稿を書いている時点で県立高校の入試が終わり、大学入試も国公立大学2次試験前期の合格発表の時期であり、残すは2次試験後期のみとなりました。大半の受験生は一息ついていることでしょう。まあこの地域の高校入試は受験できれば合格する、『高校全入』状態ですから何も心配していないことと思います。私も全く心配しておりません。

さて、意味ありげなタイトルで始まった今月の塾だよりですが、これが何を意味しているかおわかりの方はいらっしゃいますか。もしかしたら高校在学中の生徒だと「ああもしかして…」と気づくかもしれません。

少子高齢化が問題となって久しいのですが、田舎では全国平均よりはるかに速いスピードで少子化が進んでいます。もちろん当地も例外ではありません。小中学校の統廃合、高校の定員減少、それを超える志願者・入学者の減少…。

その影響を受けているものの一つに部活動があります。部活動の数も減少していますし、各部の部員数も以前より少数です。運動部だと試合に必要な人数は決まってますから、その人数確保に躍起になります。

そうなると必然的に部活動を辞める、あるいは転部することが困難になります。あの手この手で引き止めにかかります。当然といえば当然ですよね。

部活動の問題については以前からここで触れてきましたが、旧態依然の軍隊的指導が残っている部があったり、それが当たり前と思っている人が指導者であったりなどがありますが、私の立場で言うなら中でも問題になるのは、勉強に必要な時間と体力を奪っていることだと思っています。この点については何度も詳しく触れてきましたので今回は省略しますが、タイトルに話を戻すと、部活動は辞めにくいものだと理解してほしいのです。安易な気持ちで部活動を選んで後に後悔する人をこの目で数多く見てきました。辞めたいと顧問に告げると酷いことを言われた例もありました。「あいつは人としてだめだ、人間じゃない」とまで言った教師もいました。体力的にきつい、勉強時間を確保したいと言っただけなのに…。

「今その辛さから逃げてどうする、これに耐えて人は成長するんだ」

定番の引き止め文句の一つです。でも、上記の場合は逃げているのではなく時間・体力の制約のもとで選択をしただけの話です。

「〇〇君は部活動も勉強も頑張ったぞ。君にだってできる」

お願いですからそれができなかった人の割合を教えてください。〇〇君の人一倍の努力を誰にでもできるというのは〇〇君に対してとても失礼な話だと理解できないのでしょうか。人並み外れた努力と才能による大谷翔平くんの二刀流を誰にでもできるとそう簡単に言えないでしょう。

まとめるとしましょう。当地の中学では部活動の選択肢はそう多くはないので仕方ない面がありますが、高校ではそれより多くの選択肢があります。高校で何をしたいのか、卒業後に何をするのか、そのために今しなければいけないことは何なのかを慎重に考えてください。

参考までに学習指導要領(解説)の一節を引用します。

『特に、生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については…』

これが何を意味するのかお考えください。

2024/02/16

受験生とは…

『受験生』という言葉を聞いて皆さんはどの学年が思い浮かぶでしょうか?一般的には高校受験の場合は中学3年生、大学受験の場合は高校3年生を指す言葉と思う方がほとんどでしょう。実際「あ~、私も4月からは受験生か…」と言うのをよく聞きますし、メディアなどでもそのような表現を見る機会が多いです。

でも本当にそうなのでしょうか。

大学受験について考えてみましょう。前回の塾だよりでも触れたように、大学入試には『総合型選抜』『学校推薦型選抜』『一般選抜』の3種類があります。簡単にこの違いについて触れると、総合型選抜は受験生がやる気・意欲を自己アピールし大学側が入学の可否を判断するもの、学校推薦型選抜は高校での成績を元に学校長の推薦を得て面接や小論文、少数教科のテストを受けて判断の材料とするもの、一般選抜は国公立ではほぼ全教科、私立では1~3教科のテストが判断材料となるものです。

どのような準備が必要になるのか、一つずつ考えてみましょう。

総合型選抜ではまず初めに大学学部が求める学生像(アドミッション・ポリシー)を理解することから始まります。これが自分の特性と合致していないと合格は難しくなります。さらに最近は高校での成績(評定平均あるいは平均評定と呼ばれるもの)に基準(下限)を定める大学も増えています。そのため、定期考査での成績を上げなければならず、『平均』という言葉が含まれているように高1からの平均となりますから、高2あるいは高3で頑張っても高1での失敗をカバーするには限界があります。また、英検などの資格が出願基準となっている場合も多く、資格取得等に時間を割くことになります。自己アピールの準備にも相当の時間が必要ですし、アピールできる自分を作り上げていかなければなりません。

学校推薦型選抜も同様で、出願に必要な評定平均に基準がある以上、その基準を満たすだけの成績が必要となり、上記と同様平均ですから高1時点での成績も重要なものとなります。

一般選抜では上記の2つほどは評定平均は重視されません。出願に評定平均の基準はありませんし学校の成績より入試の点数による評価です。時折「入試の出題範囲に高1の学習内容は含まれますか?」というピントの外れた質問を受けることがありますが、当たり前のことですが小学校から学習してきたすべてが出題範囲です。

さて、これらの評価基準から見て、高3の1年間の準備で合格が可能でしょうか。

総合型選抜・学校推薦型選抜は長期的な準備が必要なのは自明の理であり、一般選抜では出題範囲が広いことにより1年間という短い準備期間では対応できにくいのです。

タイトルの『受験生とは…』に戻りますが、大学(あるいは高校)への進学を希望した時点でその生徒は受験生なのです。その時点で受験勉強を始めるという意味ではなく、早期に情報収集し、今何をするべきか、何が必要なのか、今の自分に何が足りていないのかを判断・整理し、準備をする必要があります。入試までの残された期間に何ができるのか、時間は足りるのか、このままの状態で時間が足りないとなるとどこで時間を作るのか、何を削るのかを冷静に判断しなければなりません。

おそらく当塾の塾生の皆さんは大学進学希望だと思います。そう、あなたたちは皆、学年に関係なく『受験生』なのです。私は小学生や中学生にも大学入試の話をすることがありますが、それはあなたたち受験生に早めに実情を知ってもらい考えてほしいからです。

あなたは今何をするべきだと思いますか。真剣に考えてください。

2024/01/26

小中学生およびその保護者の方は必見で

皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

さて、挨拶もそこそこにして、本題に入りたいと思います。今年、そして今後高校受験を控えている生徒および保護者の方にとっては、今回の内容は非常に重要なものとなっております。

以前と比べて大学の合格者選抜方法は多種多様なものとなっており、その中でも一般に『推薦入試』といわれる『総合型選抜・学校推薦型選抜』の割合が増加傾向にあります(といっても、国立大学の場合はほぼ現状維持の微々増程度ですが)。実際にどの程度の割合になっているかというと、2024年度入試(現高校3年生)では国立大学の定員の20%、公立大学では31.5%となっています。一方私立大学では、こちらは2022年度入試のデータですが、60%弱となっています。国公立大学と比較すると、私立大学の割合が高いことが分かると思いますが、ではなぜ国立よりも公立、公立よりも私立の割合が高いのでしょうか?

おそらく皆さんお分かりかと思いますが、その理由は『国(文部科学省)の無策で増加した大学入学定員』と『少子化』です。さらに学費の安い国公立大学に進学を希望する学生や親が多く、これらの事情により入学定員の確保が難しくなった私立大学の多くができるだけ早期に学生数を確保するために『年内入試』とも呼ばれる推薦入試にウエートを置くようになりました。そうしなければ入学者数を確保することが困難になっているからです。最近新設された多くの公立大学も知名度・人気では国立大学には敵いませんから同じような状況といえます。ちなみに私立大学の50%以上は定員割れの状態となってますから、学校の経営を考えるとこうするしかない状況なのです。

また、学生の側からしても、早期に入学が確定する年内入試は魅力的なものとも言えます。進学先の決定が早ければ早いほど、春からの新生活の準備に時間をかけることができるからです。まあ、受験生の立場から早めに脱却することができ、嫌な勉強をしなくて良くなるという面のほうが強いかとも思いますが。

ここで何点か、多くの皆さんの誤解を解かないといけません。そのうちの一つは『推薦入試のほうが一般入試より合格しやすい』というものです。上記のように推薦入試の割合が高くなり、受験生側もその制度での合格を望んでいるとどうなるでしょうか。当然推薦入試の受験者が増えて高倍率となります。そして不幸にして合格を得られない人が増えてきます。常識的に考えてみましょう。倍率・競争率が2倍でも合格者は2人に1人です。これが3倍、4倍…となるとどうでしょうか。合格者のほうが少なく、不合格が『当たり前』となります。実際倍率が2倍以下に収まる推薦入試は少数で、低くとも3倍程度にはなると思ってください(参考までに昨年の愛媛大学の一般入試の倍率は全学部の平均で1.9倍です)。

さらに一点、『推薦で合格する人は成績がいい』という誤解があります。これはある意味正解なのですが、ここでは『成績』と『学力』は『似て非なるもの』だということを理解する必要があります。ここでいう成績とは『学校の成績表』に現れる成績です(推薦入試ではこれが低いと受験すらできない場合が多いので重要になります)。では学力とは何かというと、簡単に言うと模擬試験での偏差値がこれに該当するかと思います。もちろん学力が高いと成績も高くなるのですが、成績が高くとも学力が高いとは言い切れない現状があります。これは不思議に思う人が多いかもしれませんが、成績の元になるのは基本的には学校の定期テストの点数です。ご存知のように定期テストの範囲は狭く、テスト前の短い期間での対策でそれなりの成果を出すことが可能です(個人的には私はそれを『一夜漬け』ならぬ『一週間漬け』と呼んでいます)。対して学力を上げるためには、例えば模試や一般入試などはこれまでに学んだことすべてが試験範囲となるため一週間やそこらの対策ではかなり困難です、というより不可能と言えるでしょう。長期に渡る日々の継続した学習が必要なのです。受験産業に携わる人の中にも『一般入試は短期集中型の人に向いていて、推薦入試は日々継続した学習をする人に向いている』という誤った認識を持つ人がいますが、試験範囲が狭く一週間漬けによる点数アップが見込めるものと、これまでの人生で学んだ全てが試験範囲となるもののどちらが短期集中型の人に向いているのか、自明の理といえましょう。

「それだと短期集中で対応できる推薦入試のほうが楽に進学できるのではないか?」と考えるかもしれません。そう、これはある意味真実を示している言葉です。それは『推薦で合格した人にとってはそう言えるが、推薦で不合格となった人には一層の困難が待っている』からです。先程も申し上げましたが、推薦入試で必要な成績と一般入試で必要な学力は似て非なるものだからです。成績と学力、上げるためにより一層の努力・時間を必要とするのはどちらでしょうか。当たり前に学力です。推薦入試で不合格となった人には学力アップのための時間は残されていません。推薦入試の倍率が2倍を超えることが当たり前となった今、そこに集中して進めることは非常に危険を伴うのです。

「推薦さえされればほぼ合格が確約されている指定校推薦制度があるじゃないか」という声もあるでしょう。それについても触れておかないと不公平になりますね。指定校推薦というのは大学側が高校を指名して『そちらの高校から○名合格させますので校内で推薦してください』というもので、これは私立大学にのみ存在している制度です。国公立大学にはありません。さらに言えば、この対象大学は年々変化します。例えば地元の高校にはかつて早稲田や青山学院、芝浦工業大学などの指定校推薦がありましたが今は消え去っております。どこでもいい、大学でありさえすれば…というのなら構いませんが、自分が希望する大学・学部が指定校となっているかは運頼みなのです。

私立大学には『内部進学・内部推薦』という制度もあります。系列校や付属校から進学する制度ですがこれも上記の推薦入試に含まれていますから、この人数を差し引くと一般の推薦入試での合格者の割合は下がってきます。今年は有名な子役だった方が数名この制度で某有名大学に進学したので注目を浴びています。悲しいかな、ここ愛媛ではこの制度が利用できるのは〇〇高校の数名のみです。

上記の内容についてご存じの方も多いかとは思いますが、あえて触れてみました。それは『人は真実を伝えるが、多くの場合真実の中の自分に都合の良いもののみを伝える』ものだからです。具体的な例を上げてみましょう。『〇〇君は部活と勉強を両立して希望大学に合格したよ』という言葉を運動部の顧問などからよく聞きます。これは真実なのでしょう。この〇〇君はとても立派だと思います。ですが、両立できなかった人の話や、両立できなかった人がどの程度の割合でいるのかを語ることはありません。顧問にとっては不都合な真実だからです。

『勉強するにも体力が必要だから運動部で体力をつけよう』という言葉もあります。勉強するのだって体力が必要なのは真実です。では、体力が必要な勉強をしていればその体力は身につくということを語る人はいません。また、勉強するのに必要な体力を部活が奪っていることについても触れられることはありません。

『部活で体力をつけていればその体力で最後の追い込みができ、追いつくことができる』とも聞きます。追いつくかどうかまでは疑問ですが、追い込みで学力がアップすることは真実です。これは体力のあるなしには関係ありません。勉強するのですから当たり前です。ですが『うさぎとかめ』のお話のように先行者がサボってくれるのを期待するのでしょうか。先行者が同じ努力を続けた場合も後続は追いつけるのでしょうか。

このようなことが中学校での進路指導でも行われることがあります。A高校のメリットとB高校のデメリットを挙げてA高校を勧める…これは生徒にとって不幸と言わざるを得ません。両高校のメリット・デメリットをともに挙げて比較検討の材料とすることが必要です。最終決定権は生徒自身およびその保護者にあるのですから、その判断材料を客観的に与えなければなりません。人は自分に都合のいい真実のみを伝える、嘘は言わないが都合の悪いものは隠す傾向にあるということを忘れてはなりません。

最後になりましたが、今年も一年よろしくお願いします。

2023/01/11

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

さて、前回予告したように今回は大学入試のシステム・制度とその対策についてお話していきます。

大学入試の制度は大きく分類して「総合型選抜」「学校推薦型選抜」「一般選抜」の三つがあります。

「一般選抜」はその名の通り従来からある学力試験による選抜方法で、大学入試といえばこれだというくらい最も馴染み深いものです。

「学校推薦型選抜」は高校長が在学中の成績をもとに推薦することにより受験でき、文部科学省の方針によりある程度の学力試験を課すことが多く、国公立大学では大学入学共通テストの受験・成績を求められる場合もあります。

最も分かりにくいのが「総合型選抜」で、大学で学ぶ意欲が重視され、各大学のアドミッションポリシーに合致した受験生が面接やプレゼンテーションでの自己アピールによって合否が決定します。

ただ、私立大学では学校推薦型選抜は「指定校推薦(高校で推薦されればほぼ100%合格が決まる)」と「公募推薦(在学中の成績などの基準を満たせば誰でも受験可能)」の2つに分かれ、学生の確保が困難な学校ほど指定校推薦を多く取り入れている傾向にあります(基本的に国公立大学に指定校推薦の制度はないと考えてください)。それ以外の特殊な例として「スポーツ推薦」的な制度を持つ私立大学もあります。

ではその対策はどうすればいいのでしょうか。

一言で言えば「学校推薦型選抜」対策は校内の定期テストで高得点を上げることであり、「一般選抜」対策は日々不断の努力を積み重ねることです。

定期テストは試験範囲も狭く、私が最も忌み嫌う(ここはかなり強調しておきたい!)「一夜漬け」や「一週間漬け」の勉強でもそれなりに点数を取ることができます。75~80点取れば評定5をもらうことができるので睡眠不足と戦いながら勉強する価値はあるでしょう。それに対して「一般選抜」は高3までの学習内容が試験範囲となるのですから、「一週間漬け」どころか「一か月漬け」や「二か月漬け」でも対策は難しいでしょう。ましてや私立中高一貫校で6年かけてじっくり受験対策をするという世の中の流れから取り残された田舎の高校生は高校入学時から目標を持って継続した学習が必要とされます。

ここまでの話だと、「一般選抜は対策が難しそうだから学校推薦型選抜を狙って大学進学したほうがいいのではないかな…」と考える人が多いのではないかと思いますが、本当にそれでいいのでしょうか?

最近は一般選抜以外の入試制度の合格定員も増加傾向にありますが、まだまだ少数派といえます。もし学校推薦型選抜で不合格になった場合、一般選抜での合格を目指すことになるのですが、ほとんどの受験生は学力不足により失敗することが多いです。なぜでしょうか?それは一般選抜に向けた対策を全く取っていないからです。日々継続した学習をせず、定期テストのときだけ徹夜してその場しのぎの学習をする…そんな方法で学力がつくと考えている方がいるとしたらその頭の中を覗いてみたいものです。

ですから学校推薦型選抜による合格を目指すのは、極端に言えば購入した宝くじが当たることを期待して家を買う契約をするようなものだと言えます。目指すは一般選抜での合格であり、学校推薦型選抜は利用できるならラッキー、合格すればもっとラッキーという考え方で対策を進めるべきです。

では具体的にはどのような対策をとるべきか、となりますが、これには皆さんが受けている模擬試験を活かす事が重要です。それも試験前に過去問で対策を立てるのはあまり意味がなく、試験後に見つかった自分の弱点を補強していくことが重要です。入試で求められるのは(特に国公立大学では)総合的な学力であり、得意分野・教科での成績ではないのですから。まあ、過去問による事前の対策も合格判定を上げて自信を得るという点においてのみは意味があるかもしれませんが…。

そう考えていけば、志望大学合格を目指すのであれば短い高校生活において何に重点を置いて過ごすべきかが見えてくると思います。時間は限られているのですからあれもこれもやりたいことをすべて、というのは無理ですよ。

2022/11/11

才能の差、文武遊三道、体力、そしてラストスパート

先月の塾だよりの続きとなります(また学校に喧嘩を売ります)。文武両道ができた人もいるじゃないか、あるいは今の総合型選抜や学校推薦型選抜がある入試システムだと文武両道もできるのではないか?との意見があろうかというお話です。これについて私の意見を述べていきたいと思います。

まず、過去に両立できた人がいるという意見ですが、これについて考証したいと思います。

それは、できた人のみを取り上げての結論は正しいのか、ということです。もちろん一般的に言えば両立できたといわれる人もいます。ですが、両立できなかった人はそれより遥かに多く存在しています。ではこの人達は単純に努力が足りなかったのでしょうか?

悲しいかな、人間には「才能の差」が歴然と存在します。今現在小学生のお子さんがメジャーリーガーの大谷君がやってきたのと同じ練習をしたとして将来皆があのような選手になれるのでしょうか?大谷君より時間をかけて練習していた選手もいたでしょうが、その人があのような成績を残せないのはなぜでしょうか?やはりそこには「才能の差」というものの存在を認めざるをえないのです。それを認めないとオリンピックで金メダルを取った人以外は、たとえ銀メダルや銅メダルを取ったとしても「努力が足りない人」と言わざるを得なくなります。それは正しいのでしょか?

じゃあ勉強にだって「才能の差」があるのではないか、と問われるかもしれません。はっきり言ってそれはあります。否定するつもりはありません。ただし、その差は努力によって「ある程度」は補えるものだと考えています。スポーツにおいても同様でしょう。ただその「努力」をどちらにも振り分ける余裕がある才能の持ち主はそう多くはないということです。両立しようとするとどちらも中途半端に終ってしまう、そういう人が大半だと思います。努力によって「ある程度」補った才能の差が今後の人生に生きてくるのは勉強のほうが大きいのではないかと思っています。

さらに言えば文武両道と言いますが、学生生活においては部活動と勉強とさらに「遊び」の「文武遊三道」と言うべきだと思います。文武2つの両立でさえ困難なのに文武遊の3つを三立するのはさらに困難であり、どれか一つを捨てるとなると、部活動にかける時間は個人では減らすことはほぼ不可能だし、遊ぶ時間を削ることをする子も少ないでしょう。となると、削るのは…言わずもがなの結論です。

また、高校の部活動の顧問がよく言われる言葉に「勉強にだって体力が必要だから、まずは部活動で体力を養い、その後その体力を生かしてラストスパートをかければいい」というのがあります。冷静に考えればこの言葉のおかしさに気づきませんか?私だって勉強するには体力が必要だと思っています。でも、その体力が必要であるはずの勉強を続けていればその必要な体力が自ずとついてくるではないでしょうか?体力が必要なことを続けているのに体力がつかない、そんなおかしなことが存在するのでしょうか?ラストスパートだって追われる側が同様にラストスパートをかけてくればそう簡単に追いつくものではありません。勉強に慣れている、勉強の仕方を体得している側がラストスパートをかけてくれば、さらに差をつけられる可能性のほうが高いでしょう。

この仕事を始めた30年ほど前、高校で生徒に配られる「進路のしおり」「進路資料集」にある先輩の体験談に、「高3の夏休みは毎日10時間ほど勉強した!」とあるのを見て、ああこの子はこの勉強量で本気で受験するつもりがあったのだろうか…と考えてしまいました。私は高校生の時、中学でちょっとばかりいい成績だったのを自分の才能によるものだと過信してしまい、入学後に周りの同級生に成績でこてんぱんにやられて才能の無さを痛感しました。その後高2まではズルズルと過ごしてしまい、危機感を抱いた高3では夏休みや冬休みの昼間はかつて旧J町の福祉会館にあった図書室に入り浸って勉強し、帰宅後も勉強を続けました。もちろん平日も家にいるほぼすべての時間を勉強に費やしました。しかしそれでも一旦ついた差を縮めることはできませんでした。同級生たちも同じように勉強をしていたのですから当然の結果です。私がラストスパートはかけて当然、だがそれにより差を縮めるのは困難だと考えるのはこの経験からです。

こういう話題になると気持ちが昂ぶってつい長文になってしまいます。入試システムについてはまた次回に

2022/10/08

文武両道?文武別道?

(塾だよりから転載。一部学校名はイニシャル表示に変更してあります)

またまた学校に喧嘩を売る内容になりそうな気がしますが、気にせずに書いていきます。

来年度入学希望者向けのM高校のパンフレットが学校のウエブサイトにあったので見てみました。最初のページに大きく書いてあるのは『勉学に部活動に気力を!』という体育館の外壁に掲示してある言葉です(昔は部活動ではなく体育だったのですが)。M高校に限らず最近聞くことが多いのが『文武両道』の言葉です。「勉強も部活動もがんばりましょう!」ということですがこれってどうなのでしょう?

昔話を語らせてください。

私は43年前の1979年にU高校に入学しました。当時のU高校は普通科・理数科と商業科がまるで別の学校であるかのようで(おそらく旧制U中学出身者と旧制U商業出身者の確執のようなものが尾を引いていたのではないかと想像します。U市出身の父もそのように言っていましたので)、校舎は別校舎、体育祭の団体も別、制服の襟章も別、その上修学旅行ですら別日程でした。

文武の面においては普通科・理数科は『文』を担当するから商業科の皆さんは『武』担当をお願いします、ともに頑張りましょう!といった感じでした。先生方もそう思っていたようで、運動部に入っていた普通科・理数科の生徒にはあからさまに「いつ辞めるの?」と言っていた先生までおられました。

こんなこと書くと当時のU高校が大学進学に関してスパルタ教育だったと思われそうですが、実際は宿題もほとんどないような放任主義でした。ただし「君らはやらなければならないってことは知ってるのだから、押し付けの指導はしない。各自自分の目標に向けてやるべきことはやれよ。私達は最大限のフォローをするから安心して勉学に励みなさい」というものでした。そのおかげで私達はのびのびと勉強ができ、今になって考えると本当に良い先生方に恵まれたと思います。

商業科の面々ものびのびと部活動に励んでいた印象がありますね。やんちゃな生徒も少なからずいましたが…。

文武両道は理想です。愛媛県の高校教育関係者の方々はその理想を追い求めることに懸命で現実が見えてないと感じますね。県立高校は軒並み進学実績を落としてますから。

実際には最近のトレンドは『文武別道』です。一つは学校全体を見ると文武両道ですが『文』と『武』の担当者が別になっているものです。県内でいうと済美高校あたりのやり方がこれに該当するでしょう。スポーツ専門クラスと大学特進クラスを完全に分けてるような。

もう一つの文武両道のあり方としてよく取り上げられるのが慶應義塾高校や早稲田大学高等学院をはじめとする大学付属校です。世間的には『エスカレーター校』と呼ばれているように、それなりの成績を修めていればほぼ無試験で大学に入学できる高校です。この環境だと文武両道も可能でしょう。

先ほど県立高校の進学実績について触れましたが、私の時代と比較すると少子化で全国的に生徒数が減ってます。大学の入学定員はというと、これは増えてます。となると例えば東京大学の合格者数が増えるのが当たり前なのですが…現実は減り続けています。東大に進学するのが良いことだとはいいませんが、今の現実の一つの指標にはなるでしょう。

私なりの結論を申し上げると、文武両道はU高校だと文武の担当者を分けることで可能かもしれませんが今のM高校の規模では到底無理です。

こんな事を言うとおそらく反対意見も多いかと思います。「〇〇くんは立派に両立してたじゃないか」とか「今の大学入試には総合型選抜や学校推薦型選抜だってあるのだから」と言われるかもしれません。これについては次回の塾だよりで触れたいと思います。

2022/09/21

旧統一教会(勝共連合・原理研)の思い出

今回はこれまでと趣が異なりますが、タイトルからして不穏ですね…。誤解のないように申し上げておきますが、私は現信者でも元信者でもございません。

私がまだ夢多き青年であった大学入学時、今と同様にキャンパスでは新入部員獲得のために各部・サークルが新歓活動を繰り広げていました。その中に『原開研』というサークルがありポスターを掲示し新歓のチラシを配っていました。当時工学部に応用原子核工学科がありましたので、おそらくその学生たちが原子力開発について研究するサークルだったのだと思われます。そのチラシの中に「当サークルは『原理研・統一教会』とは一切関係がありません」という記述があり、『原理研』とは何だろう?と疑問に思った私が部の先輩に尋ねたところ、「あそこ(原理研)は相手にしちゃだめだ!とんでもないことになるぞ」と忠告されました。

その後大学にも少しなじんできた頃、帰宅時に大学正門の近辺にて学生に声をかける数人の人たち(おそらく学生ではない)を見かけるようになり、ある日とうとう私にも声をかけてきました。田舎育ちで人を疑うことを知らない純情な青年だった私(ここは笑うところではないので間違いのないようお願いします…)は、せっかく声をかけてもらったのだからと足を止めて話を聞くことにしました。以下、その勧誘者(勧)と私の会話です。

勧「すみません、今お時間大丈夫ですか?」

私「少しでしたら…」

勧「あなたは神の存在を信じますか?」

私「いいえ、全く信じてませんね」

勧「そうなんですね。ところであなたは物事には原因と結果があるのはご存知ですよね?」

私「まあそうですね」

勧「でもその原因も他のなにかの結果ということができますよね」

私「それはそうじゃないですかね」

勧「となると、原因の原因、更にその原因があり、この流れはどこまでも続くことになり始まりを見つけることができない、ということになりませんか。これっておかしいですよね」

私「(いや別におかしいとは思ってないけど)…そうなんですかね、おかしいですかね」

勧「始まりがないことになるのですからおかしいです。ですが実は始まりがあり、その始まりのことを『絶対原因』というのです。その『絶対原因』こそが神の存在なのです」

私「………」

勧「神の存在について興味はありませんか?」

私「全くありません。では失礼します」

勧「いや、ちょっと…」(私、無視して帰る)

(ちなみにこれはカントが神の存在の『宇宙論的証明』と分類したものらしい)

以後、何度もこの人達につきまとわれることになりました…本当にしつこいです。

このことを友人(高校・大学が同じ)に話したところ、同様につきまとわれていたとのことで、ある日次のように言ったそうです。

友「あなたは点に面積がないのは知ってますよね」

勧「はい」

友「その点の集合である線にも面積がありませんよね」

勧「はい」

友「でもその面積がない線が集まって面となると面積があることになる…。『無』から『有』が生まれることってそんなにおかしなことですか?」

勧「………」

(実はこの理論にはかなり飛躍があるのですがそこには目をつむるということで)

私はこの友人のように論破することができなかったのでしばらくつきまとわれる日が続きました。

その後、こちらに帰ってこの仕事を始めた頃、お世話になった先輩から面白いものがあるからぜひ来いというので行ったところ、その先輩の友人が統一教会に入信し、買ってくれと言って置いていったものがあるとのこと。それは統一教会系の会社が販売している麦から作ったコーラ系飲料『メッコール』という飲み物で、飲んでみろと笑いながら言うので一口飲むと…「こりゃ人間の飲み物じゃないよ…」とギブアップしました(ちなみに『世界一まずいコーラ』と言われているそうです)。

長々と昔語りをしましたが、何を言いたいかというと、「今世間を騒がせている旧統一教会のようなカルト的な宗教団体は意外とあなたの身近なところで活動し勧誘している」ということです。実際、宇和島にも宇東のすぐそばに旧統一教会の支部がありますし、かつてのオウム真理教も最初はヨガ研究会などの名目で信者を集めていました。こういう団体は純真な若者や心に悩みがある人、不幸を感じている人を狙ってきます。くれぐれもご注意ください。

2021/06/13

前フリが長いですが…

大学生のとき、同じ部(サークル)の先輩方に自動車部(大学にはこんな部もあるんですよ)と兼部していた方が多く、その縁で学生ラリーのお手伝いやラリーの全日本選手権の観戦に行ってた事がありました(ご存じない方も多いかと思いますので解説しますと、ラリーとは公道上で競うモータースポーツで、道路の専有許可を取った上でナンバー付きの自動車でタイムを争う競技です。暴走族ではありませんので誤解の無いよう)。あの時代の若者はほぼ全員クルマ好き、バイク好きと言ってもいいほどで、グラベル(非舗装路)を小石を跳ね飛ばしながら駆け抜けるAE86やランサーターボ、RX-7、レオーネ、フェアレディZなどの姿に胸をときめかしたものでした。当時のラリー車は法の曖昧な部分を勝手に拡大解釈してかなりやりたい放題の改造をしていました(バンパーを切除しての補助灯取り付けや乗車定員を無視してのロールケージの取り付け、6点式のシートベルトやバケットシートの取り付けなど)から、見た目も市販車のノーマル状態とはかなりかけ離れたものも多くありました。

その数年後、当時の運輸省(現在の国土交通省)がその点についてJAF(日本自動車連盟…国内のモータースポーツの総元締めですね)に問題提起し、当時のラリー界は上を下への大騒ぎとなりました。その結果JAFは下部統括団体に一旦車両をノーマル状態に戻すことを命じ、その上で認められる点と認められない点を明確にするべく運輸省との交渉に入りました。JAFとしてはまずは全員がノーマルに戻すことによりラリー界は法を遵守する意志があることを運輸省に示したのです。そしてその交渉の結果、改造範囲が法的に明確化され皆が改めてそのルールに則ってラリー車を作ることになりました。ある意味ラリー界は自らその闇や暗部を明らかにして浄化を図ったとも言えます。かつては違法改造に近い状態を野放しにしていたのは決して褒められることではありませんが、その後の行動は評価できるものとされています。

前フリが長いですが、何故このような話をするのかと言うとここ数年の中学校(及び高等学校)の部活動の活動日数・活動時間問題でふと思い出したのが上記のラリー車問題だったのです。当時のJAFは自ら襟を正してから交渉の場に臨むことで法を遵守する態度を明確化したのです。当塾の保護者には学校関係者も多いのでなかなか話題にしづらい問題ではありますが、今現在の部活動の活動状況と比べるとどう見えるでしょうか。

近隣のある学校(あえて名前は伏せます)のウエブサイトを見ると休養日などを示した今年度の部活動の活動計画が掲載されています。それによるとほぼ全ての運動部の休養日が土日のどちらか一日となっています。平日はすべて活動日です。これを見たとき私はびっくりしたのと同時に「ああ、まあやっぱりこんなものか…」と失望しました。

平成30年3月に文部科学省スポーツ庁が発表したガイドラインによると『学期中は、週あたり2日以上の休養日を設ける。(平日は少なくとも1日、週末は少なくとも1日を休養日とする。)』とあります。

https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/shingi/013_index/toushin/1402678.htm

(『文部科学省 スポーツ庁 部活動 休養日 活動時間』で検索するとトップに表示されます)

これを受けて愛媛県教育委員会も同様の報告を発表をしました。

https://ehime-c.esnet.ed.jp/hosupo/gakkou_taiiku/H30_bukatudou_kaitei/kaitei_riyuu.html

これらはあくまでも『基準』であり、法律ではないから守らなくても罰則はありません。ですが罰則はないからと無視していいものではありません。『他の学校と同じことをしていたのでは勝てないから基準を破ってもっと練習する』というのはラリー界が『他の車と同じ改造では勝てないからルールを破ってでもさらなる改造をする』というのと何が違うのでしょうか。

まあこれ以上深く語ることはやめますが、紀元前のギリシャの哲学者ソクラテスが彼を憎む者たちにより冤罪に近い形で死刑に追いやられたとき、『悪法も法なり』とその死刑を受け入れたことを考えてみてはどうかと思います(実際は違うという話もありますが)。ルール・基準を守らない大人たちは子どもたちの目にどう映るのでしょうか。

2021/04/20

英語の辞書って使えます?

ブログの引っ越し記念に久々に雑感を…


毎年この時期新規入塾の高校生を受け入れて最も気になることは、辞書が使えない生徒が多いことである。

というより、最初から辞書を引くことが頭にない生徒がほとんど。

辞書を引いているように見えても、初めの部分のみを見てそれで終わる生徒のなんと多いことか。

これでは英語の勉強になんてなるはずがない。

こんな状態で中学校のときはどうやって勉強していたのかと思うが、学校の教科書のみで勉強しているとこうなるよね、と思う、


何故か?


その原因は一つしか考えられない。

教科書の末尾にある例の『辞書的な部分』である。

教科書に載っている単語はそこにあるから、辞書を引かずともそこさえ見ればよいし、記載内容も本当に簡略化され教科書本文を訳する際に役立つことしか書かれていない。


なんだかなあ…


これって要らないよね?

本当に文科省はこの教科書を認めてるの?

中1で初めて英語に接して(今は小学校でも英語があるが)慣れるまでの間ならまあ必要かもしれないけど、中2以降だときちんとした辞書を使うべき。

私が学校の先生なら教科書配布のときにこのページを破り捨てるよう指示するわ。


そう思いません?


自慢するわけじゃないけど、私は中3のときに結構分厚い大学受験にも使えるような辞書を買い、その情報量に圧倒されながらも辞書を引くことに興味を持つようになった。

「こんな意味もあるのか…この用法は今調べていることに当てはまるよな…」

そんなことを考えながら例文を見たりしてた。

で、高2の頃だったかその辞書がズタボロになり(まあ、扱い方も悪かったのだろうけど)全く同じ辞書を新しく買った。辞書って結構高いよね…お金を出してくれてありがとう、お袋。


最近は電子辞書を利用する生徒が増えたけど、紙の辞書のほうが一見した場合の情報量が格段に多いよね。

スクロールしないと全体が見えないとか、使い勝手悪すぎ。

電子辞書にも持ち運びしやすいという利点があるから、うまく併用していくべきだろうね。

学校では電子辞書、家では紙の辞書というふうに。

お金はかかるけどね…


それと、中学生向けの辞書にも問題ありで、単語の冒頭に目立つように主要な用法が挙げられてるのだけど、そのせいでその冒頭部分のみを見て終わらせる子が多くなる。

これは『親切の押し売り、ありがた迷惑』ってことを辞書の制作側はわかってないよな。

中学生が使って、その時のみの使い勝手だけを考えて、これに慣れた生徒がこの先辞書をうまく使えなくなることを考えてないとしか思えない。

売れるためには仕方ないのかもしれないけど。


結構長くなっちゃった…

こんな偉そうなことを書いてても高校時代はそんなに英語が得意ではなかったことは秘密にしときたいなあ…

2019/04/10

平成最後の…


新元号が『令和』に決まりました。各方面からいろいろと批評・批判などあるようですが、私は良い元号だと思います。『平成』の時と同様、慣れるまで時間がかかるでしょうが、数ヶ月経てば慣れることでしょう。3月に卒業した生徒は平成最後の卒業生、4月に入学した生徒は平成最後の新入生、この塾だよりも平成最終号となりますが、皆さん『平成最後』の言葉に少々食傷気味なのでは?
さて、当塾でも4月から新規入塾生を迎え新しい気持ちでスタートしました。中学・高校に入学した生徒はこれまでとの環境の違いに戸惑うことでしょう。心機一転頑張りましょう。
進学・進級といった節目には新しい目標を立てて「今年こそ目標を達成するぞ!」と気持ちを新たにするものですが、一つ忠告をさせていただくと、無理な目標を立てないほうが良いですよ。無理な目標は計画だおれとなり、やる気を削いでしまう結果になりがちです。これまでの生活を省みて改める点を見出し、一つずつ改善していく…そう、あくまでも一つずつです。一度にたくさんのことをやろうとしてはいけません。具体的には(入塾の面接時などにお話する内容とかぶりますが)『勉強しない日を作らない』や『○時になったら必ず勉強を始める』といった簡単そうに見える目標が良いと思います。簡単そうに見えてもこれはこれで継続するのはなかなか大変な目標なのですが、『○時間勉強する』とか『この問題集を今月中に終了させる』といったものよりは守りやすい目標だと思います。
補足すると、『勉強しない日を作らない』というのは、なにも毎日数時間勉強するというものではありません。『今日は部活で疲れた…今日は寝よう』とか『金曜日の夜…まだ土日があるから今日はなにもしない』といった日を作らないということです。疲れているなら30分でも構いません、いや10分でもいいです、必ず毎日勉強することにしましょう。そうしないと『今日は○○だからしなくていいか…』と考える日が増えてしまいます。そうなると悪循環、なにもしないのが当たり前になりかねません。
『○時になったら必ず勉強を始める』というのも有効です。『○時間勉強する』というよりは心の負担が少なく実現しやすいと思います。そのような実現可能な目標から始めて、少しずつレベルアップしていく…そうここでもあくまでも『少しずつ、一つずつ』です。
そうは言っても中3・高3の受験生ともなると少々無理をしなくてはいけなくなるでしょう。その際に重要なのが気持ちの切り替え、勉強の合間の休憩の方法です。最悪なのは、本を読むとかベッドに横になるとか、またはその複合型でしょう。気がつくと数時間経過…または翌朝になっていたりとか、思い当たることがあるのでは?短時間で済む気分転換法を自分で見つけてください。私の場合は歯磨きでした。集中力が切れると歯磨き…一晩で数回していたこともありました。皆さん自分なりの方法を見つけ出してください。
元号も新しくなるこの一年、皆それぞれ『簡単な目標』を立ててがんばりましょう。 


2010/11/02

小学算数・中学数学・高校数学

当塾での指導教科の中には小学算数・中学数学・高校数学がある。

塾生は随時募集しているから学期の途中からの入塾もあるがもっとも多いのはやはり新年度の始まりの時期である。

その中でも高校や中学入学時に入塾する場合が多い(まあ、当たり前のことだが)。



塾生が増えるのは塾にとっては歓迎すべきことである。これまでの指導方針が認められたと言っても良いだろう。

ただ、高校入学時の入塾生には非常に手を焼くことが多い。

その原因の一つが中学校での数学教育である。




ご存知のように小学校での算数はテスト用紙に『式』と『答え』を書くようになっている。

高校数学では小問集合問題やマークシート方式の問題以外は途中過程も丁寧に書くような解答用紙となっている。

高校数学ではこの答案の書き方により点数に差がつくと言ってもよい。




では中学数学はどうか。

テストでは答えのみを書く形式が主流である。

途中経過が重視される証明問題でも穴埋め・虫食い形式が多い。

問題を解く過程でどのような思考がなされているのかは重視されない。

それどころか全くの無視である。




このような形式に慣れた学生が高校数学のテスト形式に戸惑いを感じるのは当然である。

あのようなテスト形式を誰が主導しているのかは知らないが、たった数年後の将来、高校での学習のことを全く考慮していないのは確かである。



まあ、これもおそらく一種の『落ちこぼれ対策』なのであろう。

全くもってくだらない。




もうおわかりだろうが、高校から入塾する生徒はほぼ全員答案が書けないのである。

答案の重要性から指導しないといけないのは…



大学入試まで残り3年弱の期間ではきつい。

こんな小学生でもできるようなことはもっと早く身につけるべきなのに、せっかく小学生で出来ていた式を書く習慣を中学でチャラにしてしまう。



小中高での関連教科の指導の流れというものに少しは気を配ってはどうだろうか。



『解ければそれでよし、途中過程は関係ない』という方針がよく現れているものの一つに2点を通る直線の方程式の求め方である。

中学段階ではy=ax+bに2点の座標を代入して連立方程式を解くことが主流だが(それどころか学校ではこちらしか教えないことも)、高校数学のことをきちんと考えれば傾きを求めることから始めるのがベストなのは言うまでもない。

連立方程式の解き方でも加減法ではなく代入法をメインとするべきで、加減法はあくまで便法であることを指導するべきだ。





やはり3流官庁が主導すればこのような結果になるのでしょうね。


2010/10/31

<span itemprop="headline">高等学校定員削減</span>

先日、といってももう10日ほど前になるが、来年度の県内公立高等学校の入学定員が発表になった。

予想通り地元M高校は1学級減。




生徒数の減少で仕方のないところではあるが、それにしてもなんとか定員維持ができなかったのか、残念である…




と考える人が多いだろうが、私はそうは考えていない。当たり前のことなのに皆があえて目を背けているのか、または本当に気がついていないのか分からないが(おそらく後者じゃないかな)、志願者が少ないのであれば、過去の受験生との整合性を保つためにも定員削減は当たり前である。

『これじゃあうちの子が高校に行きにくい』とか『この年の子(要は自分の子供)が可哀想』とかの批判はまったくの的外れであるのがおわかりだろうか。心配している保護者の方々、ご安心くださいませ。





それよりも問題なのはM高校の目を覆いたくなるような極端な学力低下である。

この原因はただひとつ、分かりやすく、M高校がM高校だからである。

かつて15年ほど前、国公立大学合格者が40名ほどあった時代(そんなときがあったのですよ!信じられますか!)はまだ何とか機能していた進路指導・教育も今では崩壊状態である。

何故か?

M高校が農業科1クラスと普通科の学校だからである。

中学生が特に頑張らなくても皆同じ進路を選択できるからである。

そんな状況で中学生が勉強すると思いますか?

さらに、『水が低きに流れる』ように学力も『低きに流れる』のである。

『悪貨が良貨を駆逐する』と行っては言い過ぎかもしれないが、自分の周辺に勉強しない同じ学科の生徒がいればその子達に引っ張られて勉強しなくなることが多い。

朱に交われば赤くなるのである。

人は下を見て安心する生き物なのである。

本人は努力しているつもりでも他地域から見ればそんなものは努力でも何でもないことが多い。下を見て安心しているから。


M高校の大学合格体験記のようなものを初めて見てびっくりしたのは、『3年の夏休みや休日には毎日10時間勉強した!』と書いてあること。

受験生がたったの10時間で『自分はよくやった!』と褒めているのである。

そんなもの少ないに決まっているじゃないですか!


考えてみてください。1日は24時間、6時間寝るとして残りは18時間。食事や入浴、トイレ等にかかるのは計2時間ほどであろうか、これで残りは16時間。

16時間のうちたった10時間でよくやったと思っているのですよ!

それで受験生だと自分で言うことを恥ずかしく思わないのだろうか。


さらに言えば、高校3年生が受験生だと思っている生徒が多いのにも呆れ返る。

受験生とは大学進学を目指している生徒のことである。

学年は関係ない、たとえ小学生でも大学進学を考えていればもう立派な受験生である。

何も小学生のうちから大学受験の問題を解けとか、私立の有名進学校を目指せとか言っているのではない。

その意識を持って日頃から行動せよと言っているのである。


都会では小学校の時から私立の6年生中高を目指し、そこで効果的な学習指導のもとで最終学年の一年間を丸々受験対策に当てられるような生徒と入試で争わねばならないのに、高3になってからが受験生だと、そこからが受験勉強だと…


もう笑って呆れてしまう。





大学進学が正義ではない。高校や大学に進まずに立派に生きている人も大勢いる。本当に立派なことである。

そんな中、大学を目指している諸君にはやるべきことがあるだろうと言っているのだ。

人それぞれが自分の持ち場で頑張らなければならない。大学を目指す人はそこで頑張らなくていつ頑張るのか。




最後に一言。



勉強と部活動の両立はありえない。

もし両立できたと思っているのなら、それはどちらも中途半端にあやふやにしてなんとかそこそこの成果を出すことができただけである。

ましてやM高校のような真面目に進学を考えている生徒とそうでない生徒が混在する学校では、顧問は生徒の学習時間を考慮しない。

考慮したとしてもそれは過去に超人的な努力をしてなんとか成果を出したOBの例を引いているだけである。









今回は過激でした。もしかしたらあとで削除するかもしれません。


2010/09/06

<span itemprop="headline">これからが…</span>

昨日(9/5)は高校の体育祭でした。
天候にも恵まれ、宇東も南宇和も無事に終了したようです。
(宇東では負傷者も出たようですが、体育祭である以上若干の負傷者はある面仕方ないものでもあります。大切なのは負傷者が出た場合の対処、要は危機管理能力ですね。)

さて、これで高3生にとって主な学校行事は文化祭を残すのみとなりました。
(宇東は春に開催済みですのでもう何もありません。)

高校生活最後の一年ですから、体育祭や文化祭に没頭するのもいいでしょうし、またこのような皆が参加する行事を一生懸命にやれないというのは問題があるとも思っています。

ですがもちろん受験にとってはマイナス面もあります。
これからが本当に落ち着いて勉強できる時間です。


今も受験生が来て教室で一人勉強しています。
塾の教室をこのように使って頂けるのは大歓迎です。

残り数ヶ月、短いようですが長い、長いようですが短い時間です(人それぞれ感じ方が違うので)。

頑張ってください。


2010/09/02

<span itemprop="headline">はっきり言ってじゃまでしかない</span>

中学3年生のサッカー部の大会がやっと終わった。これで部活動をすべて終えゆっくり勉強ができると思ったのだが…

来週からサッカー部の中3生を夜週に一度集めて練習をするらしい。おそらく高校サッカーを見据えてのことであろう。

だが、だがしかしである。

これは部活動の一環なのであろうか。そうでないとしたら生徒が怪我をした時などは誰が責任を負うのであろう。

生徒の話を聞くとどうも高校の顧問が指導するらしいが、だからと言って高校の部活動では絶対にあるまい。なにせまだ高校生になってないのだから。

同じような話が卓球部でもあるようだ。おそらく私が知らないだけで他の部でもやっているのだろう。そういえば女子バスケでも春休みにあったような…

部活動等のスポーツの指導時の事故での訴訟が新聞をにぎわすことが多い昨今、そこにこの事例が並ぶことがなければいいのだが…

『そんなことめったにあるもんやないんやからそこまで気にしなくてもいいやん。心配し過ぎやないか』
という人は危機管理というものを理解できてない人である。


さらに言えば、大学進学を目指す生徒やその周囲にとってこれほど迷惑な話はない。

人間は精神的に弱い生き物である。生来怠け者であると言ってもいい。夜このような状況を作ると、子どもたちはその時間は勉強しなくても良い、その日は学習時間が少なくても仕方がないというふうに解釈する。

これは非常に困る考え方である。このような日を作るとその影響は少なくとも翌日まで持ち越されるのが普通であるから。

勉強するうえで大切な事はコンスタントな学習。人の弱い精神はそれを妨げる方向に働く。


だから、だからこそ勉強しない日を作らないことがもっとも重要なのである。

『昨日もしなかったし、今日一日くらいやらなくても後で挽回できるから…』
と考えるのが普通の中学生である。わざわざこのような考え方に至る状況を作ってどうしようというのだろうか。



部活動の顧問は学校の先生なのだが、学習の指導者と部活動の指導者の立場を両立することができない人たちであることを理解してほしい。