大学生のとき、同じ部(サークル)の先輩方に自動車部(大学にはこんな部もあるんですよ)と兼部していた方が多く、その縁で学生ラリーのお手伝いやラリーの全日本選手権の観戦に行ってた事がありました(ご存じない方も多いかと思いますので解説しますと、ラリーとは公道上で競うモータースポーツで、道路の専有許可を取った上でナンバー付きの自動車でタイムを争う競技です。暴走族ではありませんので誤解の無いよう)。あの時代の若者はほぼ全員クルマ好き、バイク好きと言ってもいいほどで、グラベル(非舗装路)を小石を跳ね飛ばしながら駆け抜けるAE86やランサーターボ、RX-7、レオーネ、フェアレディZなどの姿に胸をときめかしたものでした。当時のラリー車は法の曖昧な部分を勝手に拡大解釈してかなりやりたい放題の改造をしていました(バンパーを切除しての補助灯取り付けや乗車定員を無視してのロールケージの取り付け、6点式のシートベルトやバケットシートの取り付けなど)から、見た目も市販車のノーマル状態とはかなりかけ離れたものも多くありました。
その数年後、当時の運輸省(現在の国土交通省)がその点についてJAF(日本自動車連盟…国内のモータースポーツの総元締めですね)に問題提起し、当時のラリー界は上を下への大騒ぎとなりました。その結果JAFは下部統括団体に一旦車両をノーマル状態に戻すことを命じ、その上で認められる点と認められない点を明確にするべく運輸省との交渉に入りました。JAFとしてはまずは全員がノーマルに戻すことによりラリー界は法を遵守する意志があることを運輸省に示したのです。そしてその交渉の結果、改造範囲が法的に明確化され皆が改めてそのルールに則ってラリー車を作ることになりました。ある意味ラリー界は自らその闇や暗部を明らかにして浄化を図ったとも言えます。かつては違法改造に近い状態を野放しにしていたのは決して褒められることではありませんが、その後の行動は評価できるものとされています。
前フリが長いですが、何故このような話をするのかと言うとここ数年の中学校(及び高等学校)の部活動の活動日数・活動時間問題でふと思い出したのが上記のラリー車問題だったのです。当時のJAFは自ら襟を正してから交渉の場に臨むことで法を遵守する態度を明確化したのです。当塾の保護者には学校関係者も多いのでなかなか話題にしづらい問題ではありますが、今現在の部活動の活動状況と比べるとどう見えるでしょうか。
近隣のある学校(あえて名前は伏せます)のウエブサイトを見ると休養日などを示した今年度の部活動の活動計画が掲載されています。それによるとほぼ全ての運動部の休養日が土日のどちらか一日となっています。平日はすべて活動日です。これを見たとき私はびっくりしたのと同時に「ああ、まあやっぱりこんなものか…」と失望しました。
平成30年3月に文部科学省スポーツ庁が発表したガイドラインによると『学期中は、週あたり2日以上の休養日を設ける。(平日は少なくとも1日、週末は少なくとも1日を休養日とする。)』とあります。
https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/shingi/013_index/toushin/1402678.htm
(『文部科学省 スポーツ庁 部活動 休養日 活動時間』で検索するとトップに表示されます)
これを受けて愛媛県教育委員会も同様の報告を発表をしました。
https://ehime-c.esnet.ed.jp/hosupo/gakkou_taiiku/H30_bukatudou_kaitei/kaitei_riyuu.html
これらはあくまでも『基準』であり、法律ではないから守らなくても罰則はありません。ですが罰則はないからと無視していいものではありません。『他の学校と同じことをしていたのでは勝てないから基準を破ってもっと練習する』というのはラリー界が『他の車と同じ改造では勝てないからルールを破ってでもさらなる改造をする』というのと何が違うのでしょうか。
まあこれ以上深く語ることはやめますが、紀元前のギリシャの哲学者ソクラテスが彼を憎む者たちにより冤罪に近い形で死刑に追いやられたとき、『悪法も法なり』とその死刑を受け入れたことを考えてみてはどうかと思います(実際は違うという話もありますが)。ルール・基準を守らない大人たちは子どもたちの目にどう映るのでしょうか。